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東京地方裁判所 平成8年(ワ)18339号 判決

原告

桂川直文

外四名

右五名訴訟代理人弁護士

丸井英弘

千川健一

加城千波

原告

丸井英弘

被告

日本放送協会

右代表者会長

海老沢勝二

右訴訟代理人弁護士

柳川從道

室町正実

永野剛志

幸村俊哉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告らに対し、別紙記載の誓約書を交付せよ。

二  被告は、原告丸井英弘に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、かねて大麻の有益性を公表していた原告丸井英弘、同桂川直文及び同沢田祐輔並びに被告の視聴者である原告浅田泰、同沼倉英晶及び同藤井弘泰が、被告の放送した「若者に広がる大麻汚染」と題するテレビ番組について、これが放送法の諸規定に違反し、真実に反して大麻有害論の立場に一方的に偏した内容であったため、原告ら全員の知る権利や、原告丸井英弘、同桂川直文及び同沢田祐輔の大麻に関する見解の信用性と同人らの名誉を侵害した上、原告丸井英弘と被告との間の取材時における合意にも違反したなどと主張して、原告ら全員が民法七二三条に基づき、原告丸井英弘、同桂川直文及び同沢田祐輔が民法七二三条又は放送法四条に基づき、原告丸井英弘がさらに取材時の合意違反に基づき、原告浅井泰、同沼倉英晶及び同藤井弘泰が被告との間の受信契約に基づき、被告に対し、それぞれ別紙記載の誓約書(以下「別紙誓約書」という。)の交付を求めるとともに、原告丸井英弘が、名誉毀損等を理由として民法七一〇条に基づき、又は取材時の合意違反に基づき、慰藉料の支払を請求した事案である。

二  争いのない事実等

1(一)  大麻取締法は、大麻の栽培等を禁止し、その罰則として、大麻を栽培し、輸入し、又は輸出した者を七年以下の懲役に、大麻を所持し、譲り受け、又は譲り渡した者を五年以下の懲役に、それぞれ処するなどと規定している(公知の事実)。

(二)  原告丸井英弘(以下「原告丸井」という。)は、昭和四九年に弁護士登録をなし、以後、多数の大麻取締法違反被告事件の弁護人を務めながら、同法が不合理である旨強く訴えてきた弁護士であり、「大麻とは何か?大麻取締法を問う」と題する冊子や、「法律家として大麻取締法を考える」と題する寄稿文などの著述がある(甲二、二五)。

原告桂川直文(以下「原告桂川」という。)は、麻の復権をめざす会を結成し、「FREE TIMES 天与の薬草 大麻の真実」と題する冊子を発行している(甲二一)。

原告沢田祐輔(以下「原告沢田」という。)は、原告丸井及び同桂川と同様に大麻の有益性を世に唱え、「STUDIO VOICE」という雑誌の平成八年五月号に「大麻の歴史」と題する論文を発表している(甲二七)。

原告浅田泰、同沼倉英晶及び同藤井弘泰(以下「原告浅田」、「原告沼倉」、原告藤井」という。)は、いずれも被告の放送番組の視聴者である。

(三)  被告は、テレビジョン放送等を行うことを業務として、放送法に基づき設立された法人である。

2  被告は、平成八年三月二七日午後九時三〇分から午後九時五九分までの間、NHK総合テレビにおいて、「クローズアップ現代『若者に広がる大麻汚染』追跡・密売ルート」と題する番組(以下「本件番組」という。)を放送した。

3  本件番組においては、その司会者又は番組中に放映されたビデオテープのナレーション等によって、次のような内容の発言がなされた(甲二二)。

(一) 「特に、若者を中心に急速に広がっている大麻汚染。若者はどのようにこの麻薬に手を染めるのか。暴力団はどう関わっているのか。大麻汚染の実態をレポートします。」。

(二) 「これ(大麻)を使用しますと大変気分が高揚し、そして視覚や聴覚が過敏になるとされています。しかし、多量に服用しますと、幻想や妄想に襲われまして、精神錯乱状態になるともされています。」。

「大麻は大量に使用すると、幻覚症状を現したり体にも悪い影響を与えることを繰り返し説明しています。」。

(三) 「若者の身近に迫る大麻は、覚せい剤やコカインなど、より強い薬物への入口にもなっています。」。

「大麻を濫用するうち覚せい剤に手を染めてしまい、その中毒症状に長い間苦しんだ若者から話を聞きました。」。

「今のレポート聴いておりますと、その大麻を始めて知らないうちに覚せい剤までやって、どんどんハードな麻薬に手をつけていったということですから怖いですね。」。

「若者がこの大麻に染まって他の薬にも手を出すようになってきますと、こうした高価な薬に関しても、闇の市場が膨らんでいくわけなんです。」。

(四) 「大麻の犯罪性あるいは害悪みたいなものを、もっと若年層に向けてですね、広報といいますか、教育といいますか、そういうことをしていかなければいけないのかなという風には感じてます。」。

「大麻が覚せい剤など更に深刻な薬物の入口になっていることを、それからまた、大麻の密売の背後には、一見分からなくても必ずその暴力団の存在があるということを、若者ですとか周辺の大人達が知っておく必要があると思います。」。

三  原告らの主張

1  本件番組放送の違法性について

(一) 本件番組は、大麻が麻薬であるとの見解に立って放送されている。

しかしながら、そもそも大麻は、古来から世界中で繊維用、紙用、薬用、食用、燃料用、建築資材用、土壌改良用などに利用され、将来的にも地球の環境問題、食糧問題、エネルギー問題などへの有益な利用が見込まれる貴重な植物としての麻のことを意味している。そして、薬理学的にみると、麻薬が、強い精神的及び肉体的依存と使用量を増加する耐性傾向があり、その使用を中止すると禁断症状が起こり、精神及び身体に障害を与え、更には種々の犯罪を誘発するような薬物を指すのに対し、大麻は、それを使用しても耐性が上昇するとはいえず、使用を中止しても禁断症状を起こさないのであって、かえって時々適量の大麻を使用することは薬用として有益であり、精神及び身体に特段の悪影響を及ぼすことはなく、大麻の使用と犯罪との間の因果関係が何ら立証されていないなどの点において、麻薬とは全く異質なものである。更に、法律上の定義をみても、大麻は、「大麻草(カンナビス・サティバ・エル)及びその製品をいう。ただし、大麻草の成熟した茎及びその製品(樹脂を除く。)並びに大麻草の種子及びその製品を除く。」(大麻取締法一条)と定義されており、麻薬及び向精神薬取締法二条の麻薬の定義と異なることは明らかである。よって、本件番組は真実に反するものである。

(二) また、本件番組は、標題自体に「大麻汚染」という言葉を使用している。

しかしながら、大麻は、右(一)記載のとおり、古来から有益かつ貴重な植物として親しまれ、日本文化のシンボルとして、第二次世界大戦前はその栽培が国家により奨励されてきたものであって、戦後の占領政策の下で、ようやく大麻取締法の規制対象とされたにすぎない。そして、かかる大麻取締法については、その保護法益とされる「国民の保健衛生上の危害の防止」という概念が抽象的であり、刑事罰をもって取り締まるべきほどの具体的な弊害が認められないこと、同法には個人の嗜好品選択の自由を否定する側面があるほか、酒やたばこと異なり、懲役刑という厳罰によって大麻の所持等を禁止しているという意味で、憲法一三条、一四条、一九条、二一条、三一条、三六条に違反していること、大麻の宗教儀式への利用やその栽培を不合理に制約していることが、憲法二〇条、二二条に違反していること、さらに、大麻に関する広告を禁止していることが、憲法一三条、一九条、二一条に明白に違反していることなどに照らし、全体として違憲無効な法律と判断されるべきものであって、現にドイツにおいては、大麻使用の解禁、自由化が大きく進んでいる。したがって、大麻は、汚染と評価されるような有害なものではない。

(三) してみると、本件番組は、大麻が麻薬であるという真実に反する見解に立った上、大麻無害論の立場を顧みず、一方的に有害論の立場に偏して放送されたものであって、放送法三条の二第一項三号(報道は真実をまげないですること)、四号(意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること)、四四条一項三号(我が国の過去の優れた文化の保存並びに新たな文化の育成及び普及に役立つようにすること)、一条二号(放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること)の各規定に違反するものである。

(四) また、本件番組では、大麻輸入事件について、いまだ捜査及び判決前の段階であるにもかかわらず、「大麻1.3トンを暴力団が輸入した。」などと断定的な報道がなされており、かかる断定的報道は、疑わしきは罰せずという刑事裁判の原則に反し、憲法三一条、三二条、放送法一条二号、三条の二第一項三号、四号に違反するものである。

2  別紙誓約書の交付請求について

(一) 原告らは、表現の自由、及びその前提である正確な情報を知る権利を有するところ(憲法二一条)、被告は、前記1記載のとおり、放送法の諸規定に違反して、大麻有害論の立場に一方的に偏した本件番組を放送し、原告らの右権利を侵害した。よって、原告らは被告に対し、民法七一〇条、七二三条に基づき、別紙誓約書の交付を求める。

(二) 原告丸井、同桂川及び同沢田は、大麻有害論の立場に一方的に偏する本件番組放送により、各自の大麻に関する見解の信用性及び名誉(人格権)を侵害された。よって、右原告らは被告に対し、民法七〇九条、七一〇条、七二三条に基づき、別紙誓約書の交付を求める。

(三) 原告丸井、同桂川及び同沢田は、放送法四条一項に基づき、本件番組を訂正する放送をなすよう求める権利を有しており、平成八年四月五日、被告に対し、本件番組が大麻が有害であるなどと真実でない事項の放送をなし、また未だ捜査段階であるのに被疑者に不利益な断定的報道をしたとして、その訂正を求める請求をした。右原告らは、かかる権利に基づき、被告に対し別紙誓約書の交付を求める。

(四) 原告丸井は、後記3(二)(三)記載のとおり、被告の担当ディレクターとの間で、大麻イコール悪、犯罪という型にはまった見方や、とおり一遍の紋切り型の認識で制作、取材に臨むよりも、幅の広い見方で臨むこと、その前提として放送法の諸規定を遵守することを約束したにもかかわらず、被告は、原告丸井の見解を全く無視し、放送法にも違反して、同原告との前記約束に反する内容の本件番組を制作し、放送した。原告丸井は、被告との間の取材時の合意に反する本件番組放送に対し、民法四一七条、七二二条に基づき、本件番組の是正に必要な別紙誓約書の交付を請求し得るものである。

(五) 原告浅田、同沼倉及び同藤井は、いずれも被告との間で受信契約を締結しているものであるが、被告に対し、右受信契約に基づき、放送法三条の二第一項三号、四号、四四条一項三号、一条二号、憲法三一条、三二条に違反する本件番組の訂正を求める権利を有しており、かかる権利に基づき、別紙誓約書の交付を求める。

3  慰藉料請求について

(一) 原告丸井は、昭和五〇年以後、一五〇件以上の大麻取締法違反被告事件の弁護人を務めながら、一貫して同法が不合理である旨強く訴えているものであり、大麻が古来から日本人に麻として親しまれ、繊維用、薬用、紙用、燃料用、建築素材用、食用などに利用される有益なものであることから、その所持等を禁ずる大麻取締法が、個人の趣味嗜好、思想良心の自由の根底にある意識変容の自由などを規制する違憲の法律である旨確信するに至っている。

(二) 被告の担当ディレクターである原靖和は、本件番組放送に先立ち、平成八年三月七日、原告丸井に対し、大麻及び大麻取締法のあり方などに関する意見につき取材を申し込んだが、その際、とおり一遍の紋切り型の認識ではなく幅の広い見方で制作に臨むこと、その前提として放送法の諸規定を遵守することを表明し、約束した。原告丸井は、原のこのような姿勢を信頼して取材に応ずることとし、同月一四日、原の訪問を受けて、同人に対し、前記(一)記載の大麻の有益性に関する自己の見解を述べるとともに、かつてNHK教育テレビにおいて、昭和五八年九月二三日午後八時から午後八時四五分までの間、「若者をむしばむ大麻」と題する番組が放送され、右番組の標題が第二東京弁護士会の人権擁護委員会で問題視されたことを告げ、本件番組ではこのような不適切な表現をしないよう注意を喚起していた。

(三)しかるに、被告は、原ディレクターが「大麻汚染」との言葉を用いることに抵抗していたにもかかわらず、本件番組に「若者に広がる大麻汚染」という標題を付し、午後九時三〇分からという視聴率の高い時間帯において、大麻が汚いもの悪いものという偏見を多数の視聴者に与えた上、右番組の中では、司会者らが大麻のことを何度も麻薬と呼び、また大麻を覚せい剤と同様のものとして放送した。のみならず、本件番組においては、大麻を大量に服用すると幻覚や妄想に襲われ精神錯乱状態になるなどと、真実に反した断定的な報道がなされたほか、大麻と暴力団が密接に関わっており、大麻すなわち暴力団というイメージを視聴者に与えたのであって、前記1記載のとおり、本件番組放送は違法なものというべきである。

(四) 被告の放送した違法な本件番組は、原告丸井の弁護士としての過去二一年間以上の経験に基づく大麻に関する見解の名誉、信用性を著しく毀損したばかりでなく、取材時における原告丸井と被告との間の合意にも違反しているものであり、これによって被った精神的損害を金銭的に評価すれば一〇〇〇万円を下ることはない。

よって、原告丸井は被告に対し、民法七一〇条又は同法四一七条、七二二条に基づき、慰藉料一〇〇〇万円の損害賠償を求める。

四  被告の主張

1  別紙誓約書の交付請求について

(一) 本案前の主張

原告らが交付を求める別紙誓約書の記載内容は、大麻有害論が放送法に違反している旨宣言する部分(第一段落)、大麻密輸報道が憲法等に違反している旨宣言する部分(第二段落)、被告において新番組の制作を誓約する部分(第三段落)という三つの部分によって構成されている。

本件は、あたかも別紙誓約書という書面の交付を求める給付訴訟のように見えるものの、原告らは、右誓約書の形式、体裁などの「物」としての特定を何ら行わないから、第一、第二段落部分については、給付訴訟というより、むしろ大麻有害論が放送法に違反する旨の宣言又は大麻密輸報道が憲法等に違反する旨の宣言それ自体を求めるものにほかならず、結局、原告らは、給付訴訟に仮託して、被告又は裁判所に対し、本件番組放送が違法である旨の宣言的確認を求めているにすぎない。してみると、原告らの右請求は、原告らと被告との間の具体的な法律関係の存否に関する確認請求ではなく、単に抽象的に本件番組が放送法又は憲法等に違反していることの確認を求めているに止まり、とりわけ、第一段落部分では原告らの大麻に関する見解の正当性を肯定するよう求めるものであるから、本件は具体的争訟性に欠けた訴えであるといわざるを得ない。

また、第三段落部分についてみるに、本件請求は、前同様に給付訴訟に仮託して、原告らの参加の下に放送番組を制作するよう被告に義務付ける宣明を求めるものと解されるところ、かかる請求が、訴訟法上どのような訴えであるのか判然としない上、原告らが制作の参加を求めている番組の内容、参加の具体的方法などが特定されていないから、訴訟法上の適法な訴えということはできない。

したがって、原告らの本件訴えは、訴えの利益がなく、又は請求内容自体が漠然として不特定であるから、いずれも不適法として却下されるべきである。

(二) 本案の主張

(1) 本件番組では、大麻を指して麻薬という用語が使われているが、これは法禁制の薬理作用をもつ物質の一般的呼称として用いられたものであり、麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(平成四年八月二八日条約第六号)一条n号においても、大麻は麻薬と規定されているのであるから、大麻が有害であることは明らかである。

(2) 原告らの主張に係る誓約書の交付請求権は、民法、放送法、受信契約のいずれによっても、根拠付けられるものではない(なお、原告浅田及び同藤井と被告との間に、受信契約は存在しないものである。)。特に、放送法四条一項は、訂正又は取消しの放送を求め得ることを内容とするに止まり、誓約書の交付を求めることまで許容していないから、同条に基づく請求は主張自体失当である。

被告は、本件番組において、原告らの氏名を放送したり、その有する見解を特定して誹謗、中傷等を行ったりしたものではないから、被告の本件番組放送により、原告らが何らかの請求権を有するとは到底考えることができない。放送法四条一項に基づく請求も、「その放送により権利の侵害を受けた本人又はその直接関係人」しかなし得ないのであるから、右の点に係る原告らの主張は、その前提自体を欠くものである。また、原告丸井の主張に係る「幅の広い見方で臨む」旨の被告担当ディレクターの言辞は、抽象的・一般的な取材、番組制作に関する見解の表明に止まることが明らかであり、法律上の権利義務関係を発生させる意味での合意とはいえないから、原告丸井が、これを根拠として誓約書交付請求権を取得する余地もない。

よって、本件請求にはいずれも理由がなく、棄却されるべきである。

2  慰藉料請求について

右1(二)(2)記載のとおり、被告は、本件番組において、原告丸井の氏名を放送したり、その有する見解を特定して、誹謗、中傷等を行ったりしたものではないから、原告丸井の名誉又は信用を毀損するものではない。また、被告担当ディレクターの「幅の広い見方で臨む」旨の表明は、法律上の権利義務関係を発生させる意味での合意とはいえないから、原告丸井が、これを根拠として損害賠償請求権を取得する余地はない。よって、本件請求は棄却されるべきである。

五  争点

本件の主要な争点は、①民法七二三条、放送法四条、取材時の合意違反又は被告との間の受信契約に基づく、別紙誓約書の交付請求についての訴えの適法性、②大麻が有害か否か、③原告らの右誓約書交付請求の当否、④原告丸井の慰藉料請求の当否である。

第三  争点に対する判断

一  別紙誓約書の交付請求についての訴えの適法性について

1 右誓約書交付請求は、その実質を見ると、被告において別紙のとおり記載された誓約書を作成することを前提として、これを原告らに対し交付することを求めるものと解され、被告の作為を目的とする請求の側面と、有体物の引渡を目的とする請求の側面とを併せ有するものと考えられるところ、確かに、原告らの請求に係る誓約書の形式、体裁が一義的に特定されているとはいい難いけれども、これらは社会的常識の範囲内で想定できるのであって、加えて右誓約書に記載されるべき表現内容自体は特定されており、全体として、被告において何をなすべきかが明らかにされているから、請求の趣旨の特定に欠けるところはないというべきである。

2  また、右請求は、前述のとおり、被告において別紙誓約書を作成することを前提に、これを原告らに対し交付するよう求める給付訴訟であって、誓約書の交付請求権という具体的な権利義務の存否に関する紛争であると解されるから、これを、給付訴訟に仮託して、本件番組放送が違法である旨の抽象的な宣言的確認を求めるものであるとか、原告らの参加の下に放送番組を制作するよう被告に義務付ける宣明を求めるものであるなどということもできない。なお、右誓約書の第三段落部分に記載された文言の具体的な実現の方策につき、原告らが制作の参加を求める番組の内容、参加の方法などが特定されていないという事情も、本件請求の趣旨が特定されているとの前記判断を妨げるものではない。

よって、右訴えを不適法ということはできない。

二  大麻が有害か否かについて

前記争いのない事実等1(一)記載のとおり、法は、大麻が人の心身に有害であることを前提として、大麻の栽培等を禁止し、これに対する罰則を設けており、また、累次の判例(東京高裁昭和五五年(う)第九八九号同五六年六月一五日判決・判例時報一〇二六号一三二頁、最高裁昭和六〇年(あ)第四四五号同年九月一〇日第一小法廷決定・裁判集刑事二四〇巻二七五頁等参照)に照らしても、大麻の有する薬理作用が人の心身に有害であることは否定できないところである。

三  別紙誓約書の交付請求の当否について

1  原告ら全員の知る権利の侵害を原因とする民法七一〇条、七二三条に基づく請求について

原告らは、放送法の諸規定に違反した本件番組放送により、表現の自由、及びその前提である正確な情報を知る権利を侵害されたとして、民法七二三条に基づき、被告に対し別紙誓約書の交付を求めている。

しかるに、この点、民法七二三条は、他人の名誉を毀損した者に対し、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる旨規定し、不法行為に対する救済手段として、金銭賠償の原則(同法七二二条、四一七条)に対する例外を定めているが、その立法趣旨は、名誉毀損等の不法行為において、金銭賠償のみをもってしては、被害者の財産的・精神的損害をてん補することが困難であり、他方、前記「適当な処分」により、毀損された社会的評価を現実に回復することが効果的であることが少なくない、というにある。してみると、民法七二三条を根拠とする「適当な処分」の請求は、右立法趣旨に照らし、名誉、信用の毀損ないしこれと同視し得る損害に限られると解すべきである。

そこで、これを本件について見るに、仮に、原告らが被告に対し正確な情報を知る権利を有しており、かつ本件番組放送により右権利が侵害されたとしても、別紙誓約書の交付によって、原告らの被った損害が効果的に回復され得るものということはできないから、前記立法趣旨に照らすと、本件において、民法七二三条を適用ないし準用することはできないというべきである。

よって、原告らの右請求は、主張自体失当といわざるを得ない。

2  原告丸井、同桂川及び同沢田の名誉毀損を原因とする民法七〇九条、七一〇条、七二三条に基づく請求について

右原告らは、大麻有害論の立場に偏する本件番組放送により、各自の大麻に関する見解の信用性及び名誉(人格権)を侵害されたとして、民法七二三条に基づき、被告に対し別紙誓約書の交付を求めている。

しかしながら、前記二に説示したとおり、法は、大麻が人の心身に有害であることを前提としているのであるから、被告が、大麻有害論の立場に則って本件番組を放送したとしても、右放送行為に違法性はなく、また、被告において故意又は過失があったものと認めることもできない。のみならず、本件番組を録画したビデオテープ(甲二二)によれば、本件番組において、被告が原告らの氏名を放送したり、その有する見解を特定して誹謗、中傷等を行ったりしたものではないことが認められる。そうすると、本件番組放送において、右原告らの見解と異なる見解が述べられたとしても、そのことによって、右原告らの社会的評価を低下させることにはならず、右原告らの名誉、信用が侵害されたと認めることもできない。なお、右原告らが本件番組に対し事実上不快感を抱いたとしても、そのことによって右原告らの名誉等(人格権)が侵害されたとはいえず、他に右原告ら主張事実を認めるに足りる証拠はない。

よって、その余の点につき判断するまでもなく、右原告らの右請求には理由がない。

3  原告丸井、同桂川及び同沢田の放送法四条一項に基づく請求について

右原告らは、放送法四条一項に基づき、被告に対し別紙誓約書の交付を求めているが、同条は、一定の場合に、放送事業者に対し訂正又は取消しの放送をすることを義務付けているに止まり、誓約書交付請求権の法律上の根拠とはなり得ないものである。

よって、右原告らの右請求は、主張自体失当として排斥を免れない。

4  原告丸井の取材時の合意違反を理由とする民法四一七条、七二二条に基づく請求について

原告丸井の主張は、本件取材時に、被告担当ディレクターの原との間で、幅の広い見方で制作に臨むこと、放送法の諸規定を遵守することを約束したにもかかわらず、被告は右合意に反する内容の本件番組を放送したとして、債務不履行又は不法行為に基づき、別紙誓約書の交付を求める趣旨のものと解される。

しかしながら、甲一四によれば、原が原告丸井に対し、平成八年三月七日、本件取材の趣旨を説明するに当たり、「以前、NHKの番組取材でトラブルがあったとのことですが、今回も番組内で直接先生のご意見を紹介できるかといえば難しいとしか言えません。しかし、通り一遍の紋切り型の認識で制作、取材にのぞむよりも幅の広い見方でのぞみたいと思い、ご相談した次第です。ぜひご一考いただいてご連絡いただければ幸いです。」という文面のFAXを送信したことが認められるところ、右の表現は、番組制作の基本的方針や心構えを表明し取材を申し込んだというに止まり、これをもって、被告が原告丸井に対し、放送すべき本件番組の具体的内容又は事項等について約束したものと評価することはできず、他に、被告が一定内容の放送をなすべき債務を負担したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

よって、原告丸井の主張はその前提を欠くこととなり、その余の点につき判断するまでもなく、同原告の債務不履行又は不法行為に基づく主張には理由がない。

5  原告浅田、同沼倉及び同藤井の受信契約に基づく請求について

右原告らは、被告との間の受信契約に基づいて別紙誓約書の交付を請求しているが、このような請求権が、受信契約中のいかなる契約文書に基づくものであるのかについて、何ら主張立証しない。

よって、右原告らの右請求は主張自体失当であり、受信契約の存否などにつき判断するまでもなく、排斥されるべきである。

四  原告丸井の慰藉料請求の当否について

原告丸井は、被告の放送した違法な本件番組が、同原告の弁護士としての過去二一年間以上の経験に基づく大麻に関する見解の名誉、信用性を著しく毀損し、また、取材時における同原告と被告との間の合意にも違反しているなどと主張して、被告に対し慰藉料の支払を請求している。

しかしながら、前記三2記載のとおり、被告が、法の前提とする大麻有害論の立場に則って本件番組を放送したとしても、右放送行為に違法性はなく、被告において故意又は過失があったとも認められないのであって、さらに、本件番組中に、被告が原告丸井の氏名を放送したり、その有する見解を特定して誹謗、中傷等を行ったりしたものではないから、本件番組放送によって、原告丸井が事実上不快感を覚えることはあるとしても、損害賠償をもって償うほどの法律上保護されるべき精神的苦痛が生じたものと認めることはできない。他に原告丸井の主張に係る不法行為の事実を認めるに足りる証拠はない。

また、前記三4記載のとおり、被告が原告丸井に対し、放送すべき本件番組の具体的内容又は事項等につき法律上約束したとか、一定内容の放送をなすべき債務を負担したという事実は認めることができないから、右事実を前提とする主張も理由がないというべきである。

よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告丸井の右請求には理由がない。

第四  結論

以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官永吉盛雄 裁判官山田陽三 裁判官松井信憲)

別紙誓約書

NHKが、一九九六年三月二七日午後九時三〇分から三〇分間にわたって報道した「若者に広がる大麻汚染」と題する番組は、表題そのものが大麻汚染という言葉を使い、また番組の中でも大麻が麻薬であるとの見解にたって報道しております。しかしながら、大麻は、古来から我が国を始め世界中で繊維用、紙用、食用、薬用、燃料用等に使われてきた人類にとって貴重な植物である麻のことであり、麻薬ではなくまた汚染と評価される有害なものでもありません。したがって、前記の「若者にひろがる大麻汚染」と題する番組は、大麻について、無害論や有益論があるのにもかかわらず、一方的に有害論の立場にたって報道したものであり、放送法第三条の二 一項三号「報道は真実をまげないですること」、放送法第三条の二 一項四号「意見が対立している問題については、出来る限り多くの角度から論点を明らかにすること。」、放送法第四四条一項三号「我が国の過去の優れた文化の保存並びに新たな文化の育成及び普及に役立つようにすること。」および放送法第一条二号「放送の普遍不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」に各違反しております。

さらに、右番組では、大麻輸入事件において、未だ捜査及び判決前の段階であるのに「大麻約一、三トンを暴力団が輸入した」と断定して報道しました。この様な断定的報道は、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の原則に違反するものであり、憲法第三一条(法定の手続の保障)や憲法第三二条(裁判を受ける権利)に違反し、また放送法第一条二号、同法三条の二 一項三号・四号にも違反するものであります。

NHKとしては、放送法条三条の二一項三号・四号、同法第四四条一項三号、同法第一条二号、同法四条一項・二項、憲法第三一条、同法三二条に従い、出来る限り早急に大麻について正確な情報の提供ができる番組を貴殿らの参加の下に制作することを誓約致します。

日本放送協会会長

原告 桂川直文 殿

原告 沢田祐輔 殿

原告 浅田泰 殿

原告 沼倉英晶 殿

原告 藤井弘泰 殿

原告 丸井英弘 殿

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